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明治の女(ひと)



最近観た展覧会、『片岡球子展』 『ルーシー・リー展』
たまたま間をあまり置かずして、観ることとなった。
まったく異なったジャンル・国の女性の作品展であり、多分個人的にも、
ぜんぜん接点もないと思うけれど、
おふたりから共通するなにかを感じずにはいられなかった。

片岡球子が1905年、ルーシー・リーが1902年生まれと、ほぼ同年齢のふたり。
2つの世界大戦を経験し、激動の時代を生きてきた。
また、女性が芸術.工芸で独り立ちして作家として生活を立てて
いくのは、今以上に相当困難なであったであろうことは想像に難くない。
ふたりとも、作風など、作品を否定されたり、不遇の時代もくぐりぬけてきた。

それでも、へこたれずに、なにより、なにを作り出したいかということに
真摯に自身に問いかけ続け、それを制作の原動力として、死ぬまで精力的に
創りつづけた。ふたりとも長命で、90歳(片岡珠子は100歳!!)でも
意欲は衰えずに。
(片岡球子は78歳のときに苦手な裸婦像の大作を一年に一枚、100歳まで22作描く
と決めて、実際23作描いて、それをやってのけたのだっ!!!)
70年以上も旺盛な制作意欲を持ち、つねに新しいもの、試みを繰り返す。
そういう姿勢を持続することこそが、精神は全く老け込ませる余地を作らない
ということなのかもしれない。

展覧会では、ともに作家の在りし日の姿、肉声もビデオで見聞することができた。
ルーシー・リーはかわいいおばあちゃんなのだが、でも凛とした芯、
頑なではまったくないけれど、絶対折れないような芯の強さを感じた。
作品から感じられる、透明で崇高な(しかし冷たくはない)スピリット
がそのままお姿から感じられて、「ああ、こんなふうに年をかさねていきたい。」と
憧れてしまう。
片岡球子はいい意味での北海道人気質(おおらかさ)でさばさばした
おばあさんといった印象だった。なんだか男前の方のようにお見受けした。
どちらもそれは、作品にしっかり反映されているうようで。。。

そして、どちらも気骨がある、明治の女(ひと)なのだった。

片岡球子展の展示は最後に100歳の時に描いた裸婦画で締めくくられていたのだが
その絵の横に大きく掲げられていたことばに、ちょっと泣きそうになった。


「人のかなしみ、苦しみのときにその人のこころに何かを点じられるような
そういう絵が一枚でも描けたら、と、私はそれをねがいながら、これからの
毎日を、生き生きと勉強をつづけていきたい、と思います。」
~図録から抜粋~
(1974年69歳のときのことば)

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No title

Asaさんの作品も暖かくて穏やかでうまく言えませんが独特の静けさのようなものがあって心を打ちますよ。

Re: No title

うれしいお言葉、とても元気付けられました。
どうもありがとうございます。
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